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    「聖の青春」 大崎善生

    大崎善生「聖の青春」を読了。

    十代から二十代にかけての人生でいちばん楽しい時間。その限られた若き日を、がむしゃらに将棋に捧げ尽くした棋士の魂の記録。

    「3月のライオン」がアニメ化するこの機会に、ぜひ読んでおきたいノンフィクションである。

    病弱でありながら、作中誰よりもエネルギッシュに将棋を希求する桐山零の(自称)ライバル・二階堂。読めば誰もが愛さずにはいられないこの少年のモデルとなっているのが、本書の主人公である村山聖だろう。

     

    たまには萌えと関係ない読書をしようと気分転換がてらに手を伸ばしたのだが、やはりノンフィクションはおもしろい。

    他人の人生ほど、奇妙で奥深いものはない。それが自分では到底経験できないような世界で生きた人間のものなら、なおさらだ。どんな天才であれ、大金持ちであれ、人はたったひとつの人生しか経験できない。けれど、本を読んでいる間だけ、私たちはけして知りえることのない「べつの人生」を追体験することができる。

    運命のような出会いと別れ。たったひとつの勝敗でその姿を変えていく、表裏一体の希望と絶望。

    村山聖の人生は、少年漫画の主人公みたいにまばゆく輝いていた。

     

    村山聖は、羽生善治や森内俊之らいまも棋界のトップに君臨する棋士らと同世代の、夭折の天才棋士である。

    5歳でネフローゼという腎臓の難病を患い、孤独な入院生活のなか、ほぼ独学で将棋を覚えた。当時の名人・谷川浩司を倒すことを夢見てプロ棋士を志した村山は、森信雄のもとに弟子入りし、14歳で奨励会入りする。

    興奮したり、少し無理をするだけで、すぐ熱を出し、何日もじっと床に臥せっているしかない村山のことを、森はかいがいしく面倒を見たという。

    「生きているものを切るのはかわいそうだ」という村山を、森は髪をつかんで床屋へ引きずって行き、村山が入院すれば、村山の読みたい少女漫画(なんと、村山棋士は萩尾望都先生のファンだったというのだ!)を書店をはしごして求めた。

    どちらが弟子でどちらが師匠かわからないようなふたりの関係は、師弟というよりほんとうの兄弟か動物の親子のようで、心温められるものがあった。

     

    村山は羽生善治というたったひとりで将棋界を塗り替えてしまうほどの天才とも、互角に渡り合った。

    何度となく「名人」という夢の扉の前に立ちながら、抗えぬ運命にゆく手を阻まれた。勝つほどに対局数は増えていく。極度の緊迫感と疲労に、村山の肉体はボロボロになっていった。

    それでも、将棋しか知らない青年は、生まれた川をめざして一心に泳ぐ魚のように、きらめく鱗をこぼしながら「名人」という到達点だけを追い求める。つねに死と隣り合わせにありながら、村山は命が尽きる瞬間まで、片時も「名人」という夢を手放さなかった。

    ときに滑稽なほどがむしゃらで、ときに胸がいたむほど純粋。

    森先生含め、棋士には奇人・変人、そしてとんでもない天才がわんさかいたが、たぶん将棋にはそういう「純粋すぎて生きづらい人」たちを受け入れるだけの器があるのだろう。

     

    燃えつきる星ような村山聖の生き方を追っていると、つい、将棋を知らなければもっと長生きできたのでは、という思いが心をよぎる。将棋という運命に、彼が自分の命を捧げてしまったようなような気がしてしまう。

    しかし、きっとそうじゃないのだ。

    「名人」という夢があったからこそ、彼は力の限り生きることができた。

    将棋を知って、不自由な身体でも羽ばたけることを知った。

     

    著者の大崎は、こう書いている。

     

    将棋は村山にすべてを与えてくれた。

    村山の心にはいつも将棋盤があり、その上には果てしない青空が広がっていた。

     

    将棋は、誰からも何ものも奪わない。ただ、与えるだけだ。

    奨励会を去った青年たちのその後を綴ったノンフィクション「将棋の子」のなかでも、大崎はそう記している。

     

    憧れ、追い求め、挫折し、絶望に打ちひしがれるうちに、いちばん最初に胸に抱いたはずの純粋な思いはすり減ってゆく。

    勝つも地獄、負けるも地獄。そうメモに残した村山にとって、将棋が果たして、楽しいものであったかどうかは、私などにはわからない。それでも、彼にとって将棋こそが、唯一自分の生を確認する手段だったのであり、彼自身を表現する術だったのではないか。

    朦朧とする意識の中でも、棋譜をそらんじていたという村山の壮絶な最期。

    「最後まであきらめない」なんて綺麗な言葉では到底言い表せない苛烈な生きざまに、深く心揺さぶられた。

     

    「聖の青春」「将棋の子」と読んで、あらためて羽生善治という天才棋士の偉大さを知った気がした。

    19歳にして名人、史上初の7冠、といった数字上の事実だけではない。デビューからいまに至るまでずっと、彼が「最強」でありつづけていることが、どれだけ同世代の、そして後に続く棋士たちを励ましてきたことか。

    奨励会を去り、まるで奈落の底で生きているような男が、羽生と戦って敗れた記憶を自分の「誇り」だと語る。

    同世代の若手に烈しい闘志を燃やした村山にとっても羽生だけは特別で、故郷の広島で療養中、どうしても羽生に会いたいからと病身をおして名人戦の解説会に出かけたという。

     

    真の才能は、ひとを絶望させたりしない。

    みんなに希望を与えるものなんだということを、しみじみとかみしめた。

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